ご挨拶

私と天畠さんの出会いは、3年前。天畠さんが、矢野の歴史を研究する「発喜 会」に入会し「実家にある古文書等を観て欲しい」というものでした。 天畠さんは、東京で会社を経営し、ご家族も東京暮らし。実家に帰る予定は 無いと。幾度か話すうちに「実家の今後」を悩んでおられる事が分かりました。 私は、とり合えず出入りさせて貰いながら「一緒に考えましょうか」が、この会の始ま りです。そのうち、幾人かの有志が集まり、今回の「天畠家に集う会」になりました。 天畠家で、地域に役に立つイベントをしながら、実家のこれからを一緒に 考えられれば、と思っています。

代表世話人:枝長信行(発喜会会長)

江戸中期作と思われる脇差(わきざし)。幕府に年貢米を納め る名主には、護身用の「帯刀」が許されていました。この脇差は 「小柄(こずか)」が付いたユニークな物。(天畠家所蔵)

会のシンボル、「 下り藤」に「蝶」について。

江戸時代。天畠家は、小作人を使って「稲作」と「養蚕業」で 栄えていました。下の風呂敷に記されている紋章『「下り藤」 に「蝶」』は、2つの意匠の合体。繭玉(まゆだま)販売用の、 独自の「商標」と考えられます。 「下り藤」。これは、浄土真宗西本願寺(親鸞が開祖)の宗紋。 江戸時代、安芸地区は、天畠家を始め、浄土真宗門徒が 多く暮らしていました。 「蝶」。天畠家は、養蚕も行っていました。蚕(かいこ)が作る 繭玉は絹糸(シルク)の原 材料。江戸時 代、多くの豪農の 副業として定着。 天畠家では、蚕の親である「蝶」をとても大切に、扱っていました。 天畠家のかっての家業に敬 意を表し、この『「下り藤」に 「蝶」』を、会のシンボルにしました。

屋根裏から出て来た「下り藤」に「蝶」の風呂敷 (江戸時代中期)。この風呂敷に「繭玉」を入れ、 糸仲買人や糸問屋に届けていました。 このような意匠は戦国大名にも見られ、かの石田 光成は、「下がり藤」に「石」を旗印にしていました。